【フィンランドです】 [2017.08.15]
<ベルギーからフランスでした。>
<そして今はフィンランドに来ました。>
(注)GoogleMapの旅です。
<各地の話題、歴史を読み解きながら子供たちに出す問題を考える旅です>
ここはフィンランドはヘルシンキの「ヘルシンキ大聖堂を望む景色」です。
フィンランドを語る書籍が2冊届きました。
詳細はこれからです。
北欧の国々は21世紀を代表する国家です。
社会的社会、共生し共創する次世代の国家です。
フィンランドの「・・国家イノベーション・・」「・・100の社会改革」のキーワードにワクワクします。
どちらもベクトルは「共生共創社会」を向いています。
とにかくフィンランドを見に来ました。
本も景色も数年前のフィンランドですが、
きれいで、たくましいです。
次に続くです。
--------以上です。--------------
【フィンランドです】 [2017.08.15]
<ベルギーからフランスでした。>
<そして今はフィンランドに来ました。>
(注)GoogleMapの旅です。
<各地の話題、歴史を読み解きながら子供たちに出す問題を考える旅です>
ここはフィンランドはヘルシンキの「ヘルシンキ大聖堂を望む景色」です。
フィンランドを語る書籍が2冊届きました。
詳細はこれからです。
北欧の国々は21世紀を代表する国家です。
社会的社会、共生し共創する次世代の国家です。
フィンランドの「・・国家イノベーション・・」「・・100の社会改革」のキーワードにワクワクします。
どちらもベクトルは「共生共創社会」を向いています。
とにかくフィンランドを見に来ました。
本も景色も数年前のフィンランドですが、
きれいで、たくましいです。
次に続くです。
--------以上です。--------------
【フランスです】 [2017.08.06]
<フランスからベルギーでした。>
<そして今はフランスに来ました。>
(注)GoogleMapの旅です。
<各地の話題、歴史を読み解きながら子供たちに出す問題を考える旅です>
ここはフランスのピレネー山脈のふもとの「ルルド」です。
『ルルドの泉』は奇跡の泉です。
ゆかのお父さんは『ルルドの泉』を知りませんでした。
ですが、糖尿病の高血糖の時、「水」に助けられたのです。
『ルルドの泉』の水とは同じにはできませんが、水は生命の源なのです。
また、ルルドの土地に特異な物質(酵素)が有るのかもしれません。
なによりも「聖ベルナデッタ」の伝説(想い)が「自己治癒力」を活性化してくれるのでしょう。
人類が受ける「ストレス」は世界に拡散し、「普遍的」なものとして治癒を世界が願っています。
「博愛」を伝播するフランスに『ルルドの泉』があるのは、必然なのかもしれません。
次に続くです。
--------以上です。--------------
【ベルギーです】 [2017.07.03]
<イタリアからフランスでした。>
<そして今はベルギーに来ました。>
(注)GoogleMapの旅です。
<各地の話題、歴史を読み解きながら子供たちに出す問題を考える旅です>
ここはベルギーの「ワーテルロー」です。
『戦場での「議論」は、敗北を意味する。』映画の中で、ナポレオンが言った言葉です。
ユーコスでは『議論』は共生社会を創る重要なアイテムと考えています。
「議論の場」「議論の手順」「議論のルール」などを確立していく、共生社会を創る基本と考えます。
「共生社会」は平和を前提としています。
ですから、戦場の議論とは異なります。
同じ「議論」でも、内容が異なるわけです。
「共生社会」を創る「議論」と戦場の「議論」とはコミュニケーションとして異なるものなのです。
目的が「創造」と「破壊」とでベクトルは真逆なのです。
また、「民主的会話」と「独裁的会話」とも言えます。
「民主的会話」は「共生を創造」し、「独裁的会話」は「共生を破壊」するのです。
創造的議論は何と言えばいいのでしょうか。
破壊的議論は何と言えばいいのでしょうか。
それぞれの異なる要素に想いをはせるのです。
【7/19追記】
ナポレオンの「議論」は、その意義は認めています。
ですが、議論にかかる「時間」や「手順」に懐疑的な訳です。
特に、日本の場合、「議論」は「喧嘩」を連想し好まれません。
日本の場合、行動指針は、皇室を中心とした、慣習(文化)として日本の歴史が育んでおり、個人が意見するものでない意識があります。
そこには「和の文化」がある訳です。
日本で文化を「議論」するなら、議論の必要は問われず、帰結として「和の文化」に至るでしょう。
ですが、多様化した現代での「議論」には議論する「怖さ」も想定できます。
例えば、「異文化共生の文化」と「和の文化」を「議論」してみましょう。
テーマの選択から始まり、議論の手順について議論が始まるでしょう。
つまり、議論の経験無しに、議論を進めることはできないのです。
「意地の張り合い」では意味がありません。
メリット、デメリット、グルーピング、そして第3・・の案の速やかな捻出です。
経験をかさねなければ、相手を罵倒して、分裂して終了です。
近い将来AIが、人間の議論を必要とはしなくなるでしょう。
ですが、まだ、1時間で終了する「議論」(会議)をマスターしていかなければならないのです。
教育の場での「議論教育」も生徒、教師の両面からとらえておかなければなりません。
次に続くです。
--------以上です。--------------